2015_11
08
(Sun)15:25

『清光恋々』(6)

『清光恋々』(5)の続き。








 ここ数日、千代は遠くを眺めて物思いに耽っていることが多かった。課業中もどこか上の空で、千代の後ろの席にいる春子がはらはらして緊張していたくらいだった。しかし、先生にあてられるとすらすらと解答を述べているあたり、さすがとしか言いようがなかった。

 優秀で、美しい、華族のお姫様。

 千代に対するまわりの評判はこうだ。しかし、実際は少し違うと春子は思っていた。優秀なのは確かだが、それは真面目さととてつもない負け嫌いからくる努力の賜物だったし、美しいのは自分の見た目に無頓着な千代のかわりに八重が心を砕いているからだった。そして、このお姫様は気取ったところがなく誰にでも分け隔てなく接し、素直に時に容赦なく感情を表現する性質だった。

 自由でしっかりとした女の子。春子はそんな千代が大好きだった。親友だと思っているし、千代もそう思ってくれていると感じていた。

 今日からは憂いが無くなったのか、いつものように溌溂としている千代だった。何も言わずに一人で解決してしまったのかと寂しく思う気持ちもなくはないが、それでも笑顔を見られることは春子にとって何よりもうれしいことだった。

 上機嫌で臨んだ今日最後のお裁縫の時間。これが終わったら久しぶりに千代とおしゃべりをして帰ろうと春子は考えていた。

 しかし、ある異変に気付いた。机の上に裁縫箱の中身を全て出し、袋の中も確かめる。あるはずのものがない。縫い取りの練習用の藍色の端切れだった。千代とお揃いで持っていたものだった。
 
 箱の中にしまってあったものがそう簡単に無くなるはずがない。明らかに誰かが故意にそれだけを抜き取ったのだ。

 またか、という気持ちとともに何人かの顔が思い出される。きっとあの中の誰かだろう。本当につまらない人たち、と心の中で罵倒する。頭は冷静であるのに、ぐるぐると黒いものが体の中でうごめきはじめる。いやだ。あんな人たちのために自分がこんな気持ちになるなんて。

 自分は千代の家柄が目当てでそばにいるわけではない。しかし、まわりには邪推して嫉妬する人間が少なからずいるのだ。

 春子の家は元々下級の武士の家柄だった。武士としての誇りも、忠誠心も身の丈にあった程度しか持ち合わせていなかった。だからこそ時代の変化に合わせてすぐに身の振り方を変えることができた。生きていくために、食べていくためにどうしたらいいかを考えた結果だった。そしてそれなりに成功することができた。

 春子は自分の家は適切な選択をしてきたと思っていたし、それで今の暮らしができていることには感謝の思いでいっぱいだった。身分だけでご飯が食べられる人なんてそういない。生きていくには自分で考えて動くしかない。それが春子の考え方だった。

 幼いころから何かあるたびに自分を奮い立たせて乗り越えてきた。これらの仕打ちに屈する理由は無かった。だから、負けるわけにはいかないのだ。平静を装ってお裁縫の時間を過ごした。

「春子さん、今日はおしゃべりしていかない?」

 課業後に振り返った千代が提案してきた。

「ごめんなさい。せっかくだけど、用事があって……」

 まあ、そうなの、と肩を落とす千代を見ると申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、端切れを見つけに行かなければならない。負けてたまるものですか。





 教室、廊下、階段と学校中を散々探し回ってようやく見つけたのは、裏庭の木の根元だった。春子は無表情のまま、そっと拾い上げる。千切れたりはしていなかったが、かなり土で汚れている。投げ捨てられ、踏みつけられたのだとわかった。
 
 きれいなお嬢様たちでもこんなことができるのだ。あの小さくてかわいらしい身のうちのどこにそんな魔を飼っているのだろうか。くすくすという嫌な笑い声が耳元で響いていた。春子は振り払うように頭を大きく振る。

 風に揺らされてざわざわとなる木の様子は、春子の心の中を映しているようだった。千々に乱れて何か大切なものがひらりひらりと散っていく。そうして残されたものだけを必死に抱きしめている。自分の小ささが身に染みて、こみ上げてくるものがあった。端切れを持つ手に力が入る。

「春子さん、こちらにいらしたのね。探してしまったわ」

 明るい凛とした声とともに校舎の影から千代が顔を出す。長い髪は風に遊ばれ、少し息が上がっているようだった。

「千代さん? どうなさったの?」
 
 帰ったはずでは、と混乱しながらも、春子は何でもない風を装い端切れを隠すように握りしめる。

「あなたの様子がおかしかったから話を聞こうと思ったのよ」

 乱れた髪の毛を払いながらまっすぐに春子のほうへ向かってくる。視界が確保できると、春子の手の中の端切れに気が付いたようだった。

「あら、随分と汚れてしまっているようね」

「落としてしまって、風に飛ばされたようなの」

 咄嗟に嘘をついてしまった。声がかたくなるが、千代は気付かない。

「まあ、春子さんでもそんな失敗をすることがあるのね」

 見つかってよかったわね、と千代は笑った。

「では、洗いに行きましょう。今日は暑いくらいにあたたかいから、きっと水が気持ちいいわ」

 そう言って、土のついた春子の手をためらわずに引く。春子は引っ込めようとするがしっかりと握られていて離すことができない。

 ああ、この感じ。すっと心の中が晴れていくようだった。太陽のような激しさはないけれど、十分に眩しくてすみずみまで照らされていく。夜空に冴えわたる月の光のようだと思った。

 春子は何も言えず、ただあたたかい千代の手を握り返した。


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