2015_09
13
(Sun)22:47

『蝉の声 蝶の涙』

2000hit記念で『scribo ergo sum』の八少女夕さまよりリクエストをいただいた「かき氷」をモチーフとしたお話です。
個人的にとても楽しく書けました。本当にありがとうございます。

いつもより長いのでお時間がある時にどうぞ。








「あっ、つーーーーーーーい」

 千鶴のその声に応えるように、軒先に吊るされた風鈴が申し訳なさそうにちりんと鳴った。視線をやると、一瞬だけ揺れた短冊が元の位置に戻るところだった。そのまましばらく眺めていたが、ぴたりと止まっていて動く気配はない。無意識にため息がこぼれる。

 クーラーも扇風機も無い祖父母の家で、千鶴はふたつに折り曲げた座布団を枕に畳の部屋で寝転がっていた。戸はすべて開け放たれているが、空気が動いている様子はない。

 少し前までうちわで扇いでいたが、じっとりとした熱い風が張り付くだけだったためやめてしまった。お役御免となったうちわは、湿気を含んでよれた状態で少し離れたところに放り出されている。

 わずかに保有していた女子高生としての恥じらいを捨てて、Tシャツ短パンでこれでもかと髪の毛をまとめあげ、ただただエネルギーを生み出さないようにそっと息をしていたが、もはや限界だった。だらだらと伝う汗と一緒に最後の忍耐が流れ出していく。

「あついー、あついー、あついー」

 喚く千鶴の耳元でどすんと大きな音が響く。

「うるっさい。どうにもなんないことでぐちゃぐちゃ言うな」

 わざと足音を立てて悪態をつくのは従兄弟の歩だった。今年小学6年生になった彼は、今年の初めに会った時よりもぐんと背が伸びている。それに合わせるかのように中身も背伸びをしているようで、何かにつけて大人びた物言いで千鶴につっかかってくる。

「だって、暑いんだもん」

 仰向けに転がったまま答える千鶴に、歩は冷たい視線を投げる。

「我慢しろよ、ガキじゃないんだから」

 そう言いながら歩は部屋の奥に座布団を投げるように置くと、脇に抱えていたジャンプを読み始める。彼の額にも玉の汗が噴き出しており、強がっているのが見え見えだった。

 千鶴は言い返そうとしたが、口を開くことさえ億劫だった。無視を決め込んで、もぞもぞと体の位置を動かし少しだけ温度の低い畳へ移動すると、目を閉じる。ふたりの沈黙の間に蝉の鳴き声だけが雨のように降り注ぐ。

 “あなたたち、またけんかしてるの?”

 毎年このタイミングでかかっていた声が聞こえない。瞼の裏に見えるその姿に千鶴の胸がずきんと痛む。祖父母の家にいる間に千鶴と歩の相手をしてくれていたのは、ふたりの母親の姉である伯母の由布子だった。

 千鶴と歩が暑さでいらいらしていると、ふたりが限界を迎えるタイミングでお皿いっぱいに盛られたいちごのかき氷を運んでくるのだ。静かであまり表情を動かさない彼女はまるで人形のようだったが、その中身は温かく、家事の中でも特に料理が得意で、みんながおいしそうに食べている様子を見ながらわずかに微笑む伯母のことが、千鶴は大好きだった。

 氷はミネラルウォーターを凍らせたものをおもちゃのような古いかき氷機で削っただけの何の変哲のないものだったが、シロップが絶品だった。鮮やかなピンク色ではなく、朱色のいちごシロップ。生のいちごで作ったもので、甘さ控えめで種も残っており、シロップというよりはゆるいジャムのようなものだった。伯母が春のうちに作り置いているものだった。

 そんな彼女は今年の初めに亡くなった。結婚せずにずっと実家で病気がちだった母親の面倒を見ていた。二年ほど前にその母を見送り、ほっと一息ついた頃に彼女にも病気が見つかった。その頃にはすでに終わりが見えていたようだった。亡くなった時にはすでに荷物も彼女自身の手によって大方片付けられており、葬儀やその他の手続きについても細やかに記した手紙があり、他人の手を煩わせることはほとんどなかった。ひとりで坦々と生きた伯母らしい最後だった。

「かき氷食べたいな……」

 思わずそうつぶやいた千鶴に、歩が反応を見せた気配があった。どうしようもないことを言っているのは千鶴もわかっている。あのかき氷はもう食べられない。作ってくれる人はもういない。

 どんよりとした気分に沈む千鶴にひらめくものがあった。伯母が時折台所で眺めていた花柄のノート、そこには伯母の考案したさまざまなレシピが綴られていた。もしかしたらそこにあのかき氷のシロップの作り方も載っているかもしれない。

 思い立ったらじっとしていられなくなった千鶴は思いきり反動をつけて起き上がると、2階の伯母の部屋へと向かった。





「どうしたんだよ、急に」

 階段を登る途中で付いてきた歩が声をかける。突然動き出した千鶴を不審に思っているようだった。

「伯母さんのノート探すの。レシピ書いてあったやつ。かき氷載ってたらつくるの」

「載ってたとしてもいちごがないだろ」

 歩がため息交じりの呆れた声を出す。千鶴の動きが一瞬止まる。レシピさえあれば食べられると思いこんでしまっていた。

「……来年のため」

 若干勢いはしぼんだが、そのまま伯母が生前使用していた部屋のドアを開ける。窓が閉まっているせいで静かだった。空気がこもっていて暑いのはほかの部屋と変わらないかむしろ不快なくらいだったが、日も入らず、何もかもがわずかにほこりを被りながらひっそりと佇んでいる様子に、気持ちはひんやりとするようだった。

 南に面した窓を開けると一気に蝉の声がうるさくなる。これでもかというくらいの勢いで叫んでいる。すごいエネルギーだな、と千鶴は思った。そして伯母の部屋とのギャップに不思議な気分になった。

「千鶴はそっち、俺はこっちな」

「え、あ、うん」

 ぼんやりと窓の外を眺めていた千鶴の背中に歩が声をかける。いつの間にか歩は段ボールを開けて中身を確認し始めている。

 千鶴も窓のそばを離れると、歩が指し示した段ボールを開ける。かつて棚いっぱいに並べられていた本たちの中で、処分できずに最後まで手元に残しておいたものはこの段ボール箱ふたつだけのようだった。

 千鶴が開けた箱は主に全集が入っていた。作家はわからないが、深い緑色をした重たい本と紺色の本がたくさん詰まっていた。探し求めているものとは明らかに違うため、そっと箱の外に積んでいく。こうして伯母が手放せなかった古い本たちに触れていると、伯母の心に触れているような錯覚があった。

 底が見えそうになったところで、カラフルな柄がのぞくようになった。探していたノートだった。花柄やチェック柄の伯母がレシピを書き記すのに使っていたノートだ。

「歩、こっちに入ってた」

 少し離れたところで同じように箱の外に本を積んでいた歩が千鶴のほうへ寄ってくる。千鶴が一冊のノートを差し出すと、無言で受け取り、中身をぺらぺらと確認し始める。千鶴ももう一冊を取り出しめくっていく。お互いしばらく無言で何冊かあるノートを確認し続けた。

 千鶴が四冊目のノートを手に取った時にぱさりと何かが落ちた。それは写真だった。縁が白く、少しぼけたようなそれに映っていたのはセーラー服を着た高校生と思われる伯母と、同じ制服をまとう一人の少女だった。伯母は千鶴が驚くくらい柔らかく微笑んでいて、それに寄り添う少女も楽しそうにしている。きらきらとまぶしい青春の1枚といった感じだった。

 どこかのお店で撮られたもののようで、下のほうには見覚えのあるかき氷が写っていた。

「由布子おばさんと......友達?」

 裏返すと「8月8日 雛子と」と書いてあった。歩が覗き込んでくる。

「その写ってるかき氷、おばさんのかき氷だよな」

「うん。そっくり。でも、ここどこかのお店っぽいよね? お店で出ていたのを真似したのかな」

 伯母は他人が作ったものでも材料や調味料の見当がつくらしく、外食先でおいしかったものを研究して自分のレシピに加えることがあった。

「なあ、そのノートに書いてないの、かき氷」

 写真に気を取られて脇に置きっぱなしになっていたノートを歩が指差す。本来の目的を忘れかけていた千鶴は慌ててノートを開く。

 ぱらぱらとめくっていく千鶴の手元を歩も黙って見つめる。しかし、最後までめくり終えてもそれらしいものは載っていなかった。ふたり同時にため息がもれる。

 手分けをして残りのノートも確認してみたが、どこにも目当てのレシピは書かれていなかった。

「伯母さんの頭の中ってことか……」

 歩がぽつりとつぶやく。千鶴もそんな気がしていた。そうすると気になってくるのは先ほどの写真だ。ノートや本はすべて元通りに段ボールに戻したが、その写真だけは戻さなかった。

 階段を降りて部屋に戻ると、ふたりとも自然に元の位置に収まった。千鶴は横になりながら写真を眺めていた。たった1枚、レシピノートにはさまっていた写真。千鶴の記憶の中の伯母はこんな風に笑わないし、そもそも写真に写るのをとても嫌がっていたように思う。そんな彼女が大事に持っていた写真、とても不思議だった。

 窓の外で近付いてきたエンジンの音が止まり、キッとサイドブレーキを引く音が聞こえる。そして玄関がにわかに騒がしくなった。買い物に行っていた千鶴の母と歩の母が帰ってきたようだった。

 床を伝って耳に足音が響く。暑い暑いという声とともに千鶴の母がこの部屋に向かっているようだった。
 
「おかえり」

「ただいま。あんたはまたごろごろして……何見てんの?」

 千鶴の母は買ってきた物を片付けをしようとしていた手を止めて、千鶴の近くに腰を下ろす。

「ねえ、お母さん。雛子さんて知ってる?」

「雛子さん? うーん……あ、深山さんか」

「知ってるんだ」

 何十年か前の、しかも自分のことでないのに名前だけでそれほど間を置かず答えた母を意外に思った。

「知ってるって言っても顔と名前くらいなもんだけどね。同級生だったけど、同じクラスになったことないし。ただ、お姉ちゃんと同じ美術部で仲が良かったから知ってるっていうだけ」

 千鶴の母と同級生ということは、雛子は伯母にとって1つ下の後輩ということだった。

「お姉ちゃんもたまに休みの日に一緒に出掛けたりしてたくらい仲良かったのよ。だけど、確か2年の時に交通事故で亡くなってね。あの時、お姉ちゃんすっごい落ち込んでたなあ……」

 顔をしかめて話す母の声音から、当時の伯母の落胆ぶりが想像できるようだった。千鶴は写真に視線を戻す。寄り添って微笑んでいるふたりの姿が尊く美しい幻のように思えた。おそらくこの写真を撮ってそれほど時間が経たないうちに亡くなったのだ。交通事故ということは何の前触れもなく突然訪れた別れだったのだ。引き裂かれたふたりを思うと心が痛い。

 千鶴はよっこいしょと起き上がると、母に写真を向けた。

「ねえ、ここに写ってるかき氷、伯母さんが作ってくれてたやつだよね?」

 母は千鶴から写真を受け取るとじっと見つめる。

「ああ、じいの店だね。学校の道挟んですぐ横におじいちゃんが経営してる甘味処があって、安いからみんなよく行ってたんだよね。夏はこのかき氷すっごい人気でさ、もともとお姉ちゃんかき氷苦手だったんだけど、ここのは気に入ったみたいでちょくちょく食べに行ってたよ。卒業後くらいから再現して毎年作ってくれるようになったの。さすがお姉ちゃんて感じだよね」

 母は懐かしいのか、どこか遠くを見つめたままうっとりとした表情で話し続ける。

 伯母が亡くなってから、母の口から伯母の話が語られることが少なくなっているのに千鶴は気づいていた。千鶴たちの見えないところで伯母と母の時間があったはずで、千鶴たちが知らない伯母が苦しむ姿も見ていたのだと思う。伯母の話題になる度に少し困ったように笑う母の姿に、悲しみが記憶を覆っているのだろうと千鶴は考えていた。

 しかし、今は楽しかった優しい時間を思い出して、凪いだ気持ちで伯母のことを思い出せている。少なくとも千鶴の目にはそう映っていた。

 伯母も同じだったのだろうか、と千鶴はふと考える。仲のいい後輩の死、それは言いようのない苦しみであったと思う。千鶴には経験が無いから想像でしかないが。
 
 それでもかき氷をきっかけに、悲しみの隙間からきらきらと輝く宝石のような思い出をすくいあげていたのではないか、そんな気がしてきた。

「雛子さんとの思い出のかき氷だったんだ……」

 千鶴は写真の中の伯母に話しかけるようにつぶやく。そして自然と千鶴と歩の視線が交わる。お互いの瞳にはお互いしか映っていなかったが、見えているのは静かにかき氷を運ぶ伯母の姿だった。ふたりの脳裏にあのかき氷がより一層特別なものとして鮮やかに思い出された。

 ちりんと風鈴が鳴る。それにつられて千鶴と歩が同時に外に目をやると、日が落ちようとしていくところだった。やわらいでいく光を見つめながら、レシピ以上に得るものがあった、と千鶴は感じていた。





「由布子先輩!」

 校門に向かって歩いていた由布子の背中に声がかかる。振り返ると、雛子が駆けてくるところだった。長い髪を揺らしながら、満開の笑顔でぶんぶんと大きく手を振っている。

 今日は夏休みの間にみっちりと行われている3年生の補講が、珍しく午前中だけで終わる日だった。

「どうしたの?」

「かき氷! 行きませんか!」

 立ち止まった由布子の前に辿り着いた雛子は、肩で息をしながらきらきらした目でそう告げた。

「かき氷? じいの店の?」

「はい!」

 この後は自宅に帰って受験勉強をする以外の予定は入っていない。卒業後に備えてお気に入りであるじいのかき氷のレシピを研究中の由布子にとって、断る理由はなかった。

 行きましょう、と答えようとした瞬間、雛子の背後に近付く人影があった。

「雛子、山本さんにあんまり迷惑をかけるんじゃない」

 後ろから雛子の頭を小突くのは雛子の兄である寛史だった。雛子がいたっ、と声をあげる。

「お兄ちゃんは関係ないでしょ」

 由布子の腕に自分の腕を絡めながら舌を出す雛子に、寛史はおおげさにため息をつく。

「いつも悪いね」

 恒例となりつつあるやり取りの後、いつも通り妹を諫めることを早々に諦めた寛史は、由布子に向かって申し訳なさそうな顔をする。

「ううん。私こそ仲良くしてもらってありがたいわ。かき氷、行きましょう」

「由布子先輩大好き!」

 歓喜に満ちた声をあげながら雛子はますます絡みつく。その反動で由布子がバランスを崩しかけた。慌てて手を差し伸べようとした寛史と自力で体勢を立て直した由布子の視線が思いのほか近くで交わる。寛史の淡い熱が宿るまなざしに、由布子は心の芯がくすぐられるような落ち着かない気分になった。

「……俺も行こうかな」

 一瞬の間を置いて元の位置に戻った寛史がつぶやく。

「え、お兄ちゃんも? 写真部に顔出すんじゃなかったの?」

 雛子が露骨に嫌そうな顔をする。

「じいのかき氷久しぶりに食べたいしさ。食べたら邪魔者はすぐにいなくなるよ。ああ、あとカメラ持ってるからついでに写真撮ってやるよ」

 写真と聞いて、雛子の気が変わったようだった。

「まあ、それなら。きれいに撮ってよね」

 そうして3人で食べに行くことになった。





 注文したいちごのかき氷が机に並べられたところで、寛史がカメラを取り出す。

「さ、ふたりとも楽しそうにしてくれ」

「なにそれ」

 いきなり雑な注文をつけてきた寛史に、雛子が笑いながらすかさず突っ込む。由布子もそれにつられて微笑む。カメラを構えている寛史も口の端が上がっていた。

「じゃ、いくぞー」

 その掛け声を合図に寄り添うふたり。そうして寛史は最高の笑顔の瞬間を切り取ることに成功した。

 その後は他愛もない話をしながらかき氷を口に運んでいく。クラスメイトである由布子と寛史、兄妹である寛史と雛子、先輩後輩である由布子と雛子、それぞれに共通の話題があり、いつまでも尽きることがなく、由布子にはこの時間がずっと続くようにさえ感じられた。

 空になった寛史のお皿にスプーンが置かれる音がしたと同時に、寛史が立ち上がる。

「じゃあ、俺行くわ。雛子払っといて」

「えぇ?」

 突然のことに雛子が抗議の声をあげるが、寛史は気にした様子もなく、軽く手を振りながらあっという間に出て行ってしまった。

「もう、なんなの」

「ちらちらと時計を気にしていたし、急いでいたのね」

「それだったらはじめから来なきゃいいのに。せっかくの由布子先輩とのデートなのに」

 文句を言いながらざくざくとかき氷をすくって口に運ぶ。しかし、そう怒っているわけではなさそうな様子が微笑ましかった。

「怒っていてはせっかくのかき氷が台無しよ」

 由布子がそう言うと、雛子は素直にはい、と返事をして食べるペースを落とした。

 それからは美術部の話、最近見た絵画の話、由布子の受験の話で盛り上がった。受験生である由布子にとっては久々に楽に息ができるような楽しい時間だった。かき氷が空になり、追加でレモンスカッシュを注文して、それが空になってからもおしゃべりは続いていった。

 少し日が傾きかけた頃になって、雛子がお手洗いで席を立った。ひとりになった由布子は頬杖をついて何気なしに外を眺めた。席からは学校の西門がちょうど真正面に見えた。部活帰りと思しき生徒たちがぱらぱらと帰っていくところだった。偶然その中に寛史が写真部らしき人たちと連れ立って歩いているのが見えた。その笑顔に心が弾む。由布子は今日はとても良い日だ、と幸せな気持ちになった。

「お兄ちゃん……」

 雛子がいつの間にか戻ってきて同じように窓の外を見ていた。全く気付いていなかった由布子は驚いて慌てて正面に向き直る。

「写真部のみなさんとどこかに行くようね」
 
「そうみたいですね」

「楽しそうね」
 
「そうですね」

 若干弾む由布子の声とは裏腹に、答える雛子の声は暗かった。

「雛子? どうしたの?」

「すみません、具合が悪いので帰りますね」

 突然明らかに嘘だとわかる言葉を告げてかばんを引っ掴むと、雛子は飛び出していった。由布子が止める暇もその行動の意味を理解する暇もなかった。一瞬だった。

 その直後に甲高いブレーキ音とどすんという衝撃音が響き渡った。





 雛子の死後、由布子は混乱と悲しみの渦の中、ただ流されるように淡々と日々をこなしていった。お葬式も校長の追悼から始まった新学期も、雛子がいて雛子がいないということが不思議に感じられて、ふわふわとした状態が続いていた。そして突然突き刺さるように実感する雛子の死という事実に涙があふれた。

 しばらくして由布子の元に一通の封筒が届いた。差出人は深山寛史、中には写真が一枚だけ。それはあの日の写真だった。

 写真を見た瞬間、由布子はすべてを悟って愕然とした。自分が寛史に向けていた表情、そこに雛子が何を見たのかを。

 震える由布子の手から写真が滑り落ちる。それを追うかのように由布子も崩れ落ちる。涙も声も出ない。ただただ真っ黒な後悔だけがじわじわと由布子の中を侵食していく。

 由布子は雛子の気持ちに薄々気付いていた。おそらく、寛史も。しかしそれは時が経てば消えていく類のものだと思っているところがあった。そうして、由布子と寛史は淡い思いを重ねつつあった。

 写真をそっと拾い上げて胸に抱く。由布子が生き方を決めた瞬間だった。


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C.O.M.M.E.N.T

ありがとうございました

昨日、旅行から帰って来て、リクエストの小説を書いていただいていた事を知りました。読ませていただくのと、感想がとても遅くなってしまってごめんなさい。

とても美しい、そして悲しい、でも優しさに溢れたストーリーですね。かき氷という題、まず登場した千鶴と歩という二人の軽快な会話からは想像もつかなかった、かつてのラブストーリーにしんみりしました。

由布子は寛史のことを想いながらも、雛子の心のために何も言わずに、生涯ひとりかき氷を作り続けて亡くなったのでしょうか。とても悲しい事なのですが、どこかに透明に昇華された世界があるのですね。

姪と甥の二人は、写真からは想像のできないラブストーリーを知る事はないのでしょうが、優しかった由布子のことを想いながら、かき氷を食べる夏を過ごすのでしょうね。

とても素敵なラブストーリーを書いてくださり、ありがとうございました。

改めて2000hitおめでとうございます。これからも素敵な小説をたくさん読ませていただくために通わせていただきますね。

2015/09/19 (Sat) 03:23 | 八少女 夕 #9yMhI49k | URL | 編集 | 返信

Re: ありがとうございました

八少女さま


コメントありがとうございます。
更新のタイミングが悪くて申し訳なかったです。
完全に自分のペースで掲載してしまったので、お気になさらないでください。

更新後しばらくして気付いたことは、思いのほか「かき氷」のイメージが強くあったのだなということです。
甘い甘いシロップとその下の白くて繊細な氷の山。今回の妙な構成もこのイメージから来ているのかもしれません。

いただいた感想にもありますように、由布子の選択した道は悲しいものです。寛史とは二度と関われなかったと思います。

しかしそんな中でも千鶴と歩やそのほかの人と関わるうちに少しずつ悲しみも溶けていって、由布子にとってのあのかき氷の意味も変わっていっていったのではないかと思っています。
かき氷が最後は甘いシロップに全部溶けてしまうように、ゆっくりと由布子の心の中も取り巻く環境も優しさにあふれたものになっていったと思います。

そういったことを拙い書き振りからも感じていただけたようで、さすがの読解力ですとしか言いようがありません。
テーマ設定含めて、本当にありがとうございます。

これからも楽しんでいただけますように精進してまいります。
どうぞこれからもよろしくお願いします。


吉川蒼

2015/09/20 (Sun) 16:43 | 吉川蒼 #- | URL | 編集 | 返信

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