2015_07
24
(Fri)22:12

『金魚の棲む森』後編

『金魚の棲む森』中編の続き。完結編。








 お祭りの様子を横目に見ながら、わたしは金魚に手を引かれて歩いていった。まわりには金魚の言った通り、“何か”がたくさんいた。目の前を通り過ぎていく彼らは、普通の人や動物に見えたけど、中には足りない部分があったり、中身が出てしまっていたりするのもいた。そうした部分を目にするたびに口を押えて悲鳴を飲み込まなければならなかった。

 しかし、そんな姿をしていても、こちらには目もくれず一心にお祭りを目指しているのは微笑ましく感じられた。仲間と手を取って、笑い合って。もしかしたらまた不思議な雰囲気に飲まれているのかもしれないけど、わたしたちと変わらないんだな、なんて思ってしまった。

 金魚は時折わたしの様子を伺うようにこちらを振り返る。わたしが視線を返すと、安心したように前に向き直る。約束通り、言葉は交わさない。それでも金魚から伝わってくるものはとても温かかった。

 誰かにこんなに大事にされるのって、久しぶりかもしれない。

 恐ろしい場所には違いないけれど、ここでは短い間にいろんなことに気付くことができた。自分は意外にひねくれていたのかもしれない。金魚のようにシンプルに素直に物事を見ると、いろいろなことがとても単純に分けて考えられるように思えてくる。

 お父さんとお母さんの喧嘩は嫌。でも、このままでは2人は何も変わらない。じゃあ、自分が何かするしかない。

 あと、人に大事に思われるってとても心地がいい。お父さんとお母さんにも同じ気持ちになってもらえると、わたしはうれしい。

 なんだかとてつもない発見をしたように、高揚感で体の中が熱くなってくる。わたしは自分の考えに夢中になっていった。

 でも、それがいけなかった。あるいは、またこの空気にだまされて油断していたのかもしれない。いつの間にか注意散漫になっていたわたしは金魚が道を選んでくれているにも関わらず、つまずいてしまった。

 転ぶことは無かったけど、頭の上のお面が滑り、赤い金魚が草の中に落ちる。まずいと思った時にはもう遅かった。途端に木や草の影から絡めとるような視線をいくつも感じる。ばれてしまったのだ、わたしの存在が。ねっとりとした重い空気が広がり、金魚が身を固くする。

「那弥子、逃げるよ」

 ささやくように鋭く告げると、わたしを引っ張るようにして走り出した。それに合わせてまわりの気配も移動する。明らかにわたしたちを狙っている動きが怖くてたまらなかった。

 わたしたちは転がるようにして駆けていく。踏んだ枝の割れる音が激しく鳴る中で、“何か”たちは音もなく迫ってくる。霧と恐怖でいつも以上に息が苦しい。心臓も爆発しそうなくらいに鳴っている。視界がにじんでいく。しっかりと掴んでくれている金魚の手だけが頼りだった。

 迷路のようにずっと同じに見える森の中を、金魚は右に左に複雑に道を選んで翻弄するけれど、それでも振り切れずについてくるものがいた。

 ちらりと見えたそれは狼のような獣だった。赤い2つの目が鋭く光っている。暗くてはっきりとは見えないけど、毛が逆立っていて黒い煙のようなものをまとっているように見えた。

 獣は最短ルートを正確に踏んで追ってきている気配がする。このままでは追いつかれてしまう。

「那弥子、何か身代わりを投げるんだ! 何でもいい!」

 金魚が叫ぶ。とっさにポケットの中にあったものを投げ捨てる。それに向かって金魚が何かを振りかけるような仕草をする。すると、追いかけてきていた獣は、わたしのぱっちんどめに向かって突進していった。

 少しだけ距離が開く。その隙に獣の視界から消えるように道を逸れていく。わたしたちはもつれるようにしながら必死で走っていった。





 どれだけ走ったかわからなくなってきたころ、暗い森を抜けることができた。一気に視界が開ける。空には限りなく黒に近い灰色の雲が広がり、大きな赤い月がおぼろげに輝いていた。その光景にぞっとする。

 ようやく金魚が足を止めた。2人ともぼろぼろだった。枝や葉っぱで切り傷をいくつも作ったし、のどが燃えるように痛い。走り続けた足もがくがくして立っているのがやっとの状態だった。

「......あそこに少しだけ、空気がゆがんでいる場所がある。あれが出口だよ」

 金魚が指し示す先には、蜃気楼のように向こう側がゆがんで見える場所があった。

 帰れる。そう思ったら安心したのか捨ててきたぱっちんどめが思い出された。わたしは無意識のうちに森のほうを振り返る。

「どうしたの?」

「あんなに大切にしていたのに、簡単に捨ててしまえるなんて」

「まあ、生きるか死ぬかというところだったしね」

 さっぱりとした口調で金魚が告げる。

「なんだかんだ言っても、やっぱり自分が大事なんだね。なんだか怖い目にあって、逆に生き返った気分」

 いまだに整わない息の合間から、こぼれるように出てきたわたしの言葉に、金魚が首をかしげる。

「よくわからないけれど、それはよかったの?」

「うん。なんだか何もしないで泣いていた自分が小さく思えてきたの。今なら前を向いて、何でもできそう」

 微笑みながらそう言うと、彼はぱっと嬉しそうな顔をした。しかし、すぐに険しい顔つきになる。

「のんびりしているとあいつが来てしまう。もう行ったほうがいい。帰る時は絶対に振り返ってはいけないよ」

 金魚の言葉に、わたしは向き合ったまま後ずさり、2人の腕の長さ分の距離が開いたところで止まる。

「ありがとう、金魚。助けてくれて」

「うん。じゃあね、那弥子。ずっと笑っていてね」

 つないでいた手をそっと離す。お互いに下ろせない手の先で視線がぶつかる。しかし、別れを惜しんでいる暇はなかった。

「さようなら、金魚」

 わたしは振り切るように走り出した。





 那弥子が完全にあちら側に消えたのとほぼ同時に、獣がやってきた。那弥子の気配が消えたせいか、先ほどのように殺気立った恐ろしい雰囲気はなく、いつも通りの普通の狼に似た姿に戻っていた。

「おい、金魚。てめえ何邪魔してんだよ」

 獣が後ろから軽く小突く。人の形をしている金魚はそれだけでも転びそうになる。なんとか踏みとどまると、向き直って強い口調で告げる。

「那弥子はだめ。おれのだから」

「だったらてめえが食っちまえばよかったじゃねえか。追っかけて損したぜ」

「そんなことしないよ。那弥子は大切だから。あちら側にちゃんと帰すって決めてたし」

 獣は盛大に顔をしかめる。

「はあ? お前だって人が来ればいつも食ってただろうが。あれか、おまえが人になりたいとかってあほなこと言ってたのは、あの女のためか」

「そうだよ。ずっと心配だったんだ。いつも泣いていたから」

 彼女の祖母に飼われていた自分。夏と冬にだけ会えた女の子。ガラス越しに見ていた彼女は、いつからか全然笑わなくなっていた。

 話を聞くだけしか取り柄の無かった自分も、ある時あっけなく水槽の底に沈んだ。那弥子は泣きながら、天国に行けるように神様のそばに、と抜け殻を神社に埋めてくれた。最後は自分が泣かせてしまった。それがずっと心残りだった。

「今日、やっと笑ってくれたんだ。おれがそのきっかけをつくったんだ」

 金魚は誇らしげに話す。

「でも、勝手にあちら側に行った上に、それだけあちら側に馴染んでちゃあ、もうここにはいられないな。おれが食ってやろうか」

「いいよ」

 即答する金魚に、獣は意外そうな顔をした。

「いいのか? あんなに人になりたいって騒いでたくせに」

「うん。今のままで本当に人になれるかわからないし。それに生まれ変われたとしても、もうそれはおれではないし。那弥子を笑わせた今のおれは、誰にも譲りたくない」

「意味わかんねえ。それもお得意の人の振りか?」

 獣は吐き捨てるように言った。金魚は困ったように首を横に振る。

「よくわからない。でもいいんだ。満足だから。食ってくれてかまわない。どうせ消えるだけだ」

 そう言って静かに目を閉じる。先ほどの笑顔を思い浮かべる。あれはおれのものだ。大好きな那弥子。やっと笑ってくれた。このまま最後まで那弥子でいっぱいにしていたい。

 あちら側に傾きすぎてしまった自分は、既にこちら側に拒絶され始めている。だんだんと息苦しくなり、体の中が少しずつ千切れていくような感覚がしていた。自分をすぐに終わらせてくれるという獣の申し出はむしろありがたいものだった。

 ため息の後に、草を踏みしめる音が間近で聞こえた。

「じゃあな、馬鹿な金魚」





 見慣れた景色の中に戻ってくると、一気に喧噪に包まれる。まとわりつくような不愉快な熱と湿気に安心する。ほこりっぽい空気さえ、日常を感じさせてくれるものだった。気持ちと体が緩んで一気に汗が噴き出してくる。

 まわりを見渡すと、そんなに時間が経っているような感じでもない。帰ってこれたのだと実感した。すると、急激に何かが遠ざかっていった気がした。

 帰ってこれた? なんだっけ?

 先ほどまでの自分の考えに疑問を持つ。お祭りをふらふらと見ていただけのはずなのに。もしかしたら、この暑さで疲れているのかもしれない。

 今日は切り上げておばあちゃんの家に帰ろうと屋台に背を向けて一歩踏み出した時、名前を呼ぶ優しい声が聞こえた気がした。しかし、振り向いても誰もいない。

 冷たくて心地いい風が吹き抜ける。ふと、赤い金魚が泳ぐ姿が頭の中によぎった。

 心の中に温かいものが残る。それが何であるのかさっぱりわからなかったけど、底のほうから明るい気持ちがふつふつと湧いてきて、何でもできるような気がしてきた。

 自然と笑みがこぼれる。お祭りに来た時の重い気持ちが嘘のように、とても良い気分だった。

「よし、がんばるぞ」

 わたしは拳を握って誰にも聞こえないように呟き、一、二歩下がって助走を付けると、おばあちゃん家に向かって走り出した。


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