2015_07
19
(Sun)00:02

『金魚の棲む森』中編

『金魚の棲む森』前編の続き。








 森の中はうっすらと霧が立ち込めていた。枝が低く垂れ下がった木に、湿っていてぬらぬらと光る葉っぱ、花びらの大きな色とりどりの花。光もあまり届かず、鳥の声も虫の声も全くしない。わたしと金魚が枝を踏む音だけが響く中で、息遣いすらも聞こえてくるようだった。
 
 あたりを見回す余裕ができると、わたしはだんだんと異様さに気付いていった。寒くもないのに体が震える。ここは本当にあの神社とつながっているの? そもそもどうやってここに来たんだっけ?

 心の中に黒い波が広がっていく。一方で、頭の中には白い靄がかかっていく。芯の部分がほどけていくようだった。右手に感じる金魚の存在だけがわたしの意識をここに留めているような気がしてきた。

 力の抜けたわたしに気が付いたのか、少し前を歩いていた金魚がこちらを振り返る。

「那弥子? どうしたの?」

 顔も見える、声も聞こえる。それなのに、金魚の言葉が薄い膜に阻まれたようにうまく頭に入ってこない。反応ができない。

 金魚は顔をしかめると、腕を引いてわたしを抱きしめた。

「那弥子、だめだよ。しっかりして」

 耳元で囁き、腕に力を込め背中をさする。されるがままになっていると、冷たい水が体の中を伝っていくような感覚がした。ゆっくりと自分の中が晴れていく。

「金魚?」

 寝起きのような掠れた声が出る。思ったより弱い音量になった。

「そうだよ。ちゃんと起きていて」

「……うん」

 次は普通に声が出た。彼はほっとしたように腕をゆるめる。じゃあ行こうか、と先ほどと同じように手をつなぎ直す。向き直ろうとした彼はわたしの後ろに何かを見つけたようで、遠くを見つめて止まった。

「那弥子、あれを見て」

 彼の視線を追って振り返ると、木の根元に茶色っぽい塊がぱらぱらと落ちている。枝でも石でもなさそうだが、目を凝らしても何であるかはよくわからなかった。

「あれも迷いこんだ人だよ。戻れなかった人は、最後はああして骨まで食べられるんだ」
 
 淡々とした口調で告げられた恐ろしい事実にぞっとした。落ちるように意識が急激に覚醒する。やっぱり、ここは“違う”んだ。

「でも、那弥子はおれがちゃんと帰してあげるから心配ないよ。絶対に手を離さないでね」

 そう言って繋いだ手を顔の高さまで上げると、にっこりと笑う。なんの陰りも無いその笑顔に少しだけ救われる気がする。

「帰り道は少し遠いけれど、おれはよく知っているから。それに、さっきも言ったけれどこうしていれば、ただの一匹の金魚にしか見えないからね」

 先ほどの会話はからかわれていたわけでなく、この不思議な世界では本気の言葉だったみたいだ。そうなると、金魚に見えるとは一体どういうことなんだろうか。

「金魚って本当に金魚なの? 人間じゃないの?」

「おれはおれだよ」

 またよくわからない返し方をされた。

「那弥子の味方。それで十分でしょ」

 振り向きざまにそう言ってまた歩き出した。なんとなく納得がいかないが、早めに折りたたむように告げた金魚の様子に何も言えなくなってしまった。





 しばらく歩くと、広場のような場所が見えてきた。中央に櫓があり、大小さまざまな色とりどりの提灯が雑多に飾られている。そのまわりをこちらも思い思いの形をした屋台がごちゃごちゃと取り囲んでいる。

 木の隙間からではよく見えないが、浴衣を来た人と犬、猫、鳥などの獣たちがお祭りを楽しんでいるようだ。お囃子があるわけではないが自由に踊ったり、食事をしたりしているように見える。
 
「あれがお祭り?」

「そうだよ。あちら側に合わせてやっているんだ」

「何が売っているの? 食べ物? 楽しそうだね」

「人のお祭りと同じようなものだよ。だけど、那弥子は食べられないからね。こちらのものを食べてこちらに馴染んでしまったら戻れなくなるよ。思い出して。ここは那弥子のいる場所ではないよ。だまされてはいけないよ」

 一瞬、理解できなかった。思い出して、という言葉がじわじわと広がっていく。そうすると見えていた景色が変化していく。明かりはおどろおどろしい炎に、人や獣たちの中にも体の一部が無いものや骨だけになっているものが見えてきた。そして全く音が聞こえないのに空気が震えているのが伝わってくる感覚が不気味だった。

恐怖でなく、むしろ親しみを感じていた自分に愕然とする。足が止まってしまった。

「大丈夫。ここはそういう場所だから仕方ないんだ。そうやって思い出せれば平気だよ」

 安心させるように金魚が優しい声音で言う。

「それにしても、那弥子は馴染みやすいね。そんなにあちら側が嫌なの?」
 
 問われてすぐに思い当たるものがあった。ポケットの中のぱっちんどめを思い出す。

「そうかもしれない。別に何もかもが嫌っていうわけじゃないけど、逃げ出したい気分になっているのかも」

「そうなの? もしかしてお父さんとお母さんのせい?」

 びっくりした。なぜ彼が両親のことを知っているのだろう。

「那弥子を困らせるのなら、退治してあげようか?」

 軽く、何でもない風に告げる。しかし不思議な存在の彼が言うととても恐ろしい。思いっきり首を横に振る。

「違うの。そうじゃなくて……」

「いなくなってほしいわけじゃないの? いつも泣いてたでしょ?」

「それはそうなんだけど……」

「じゃあ、どうなってほしいの?」

 はっきりと答えられないにわたしに直球でぶつけてくる。意地悪だとかそういうわけでなく、心底わからないといった感じだ。

「仲良くしてほしい……のとは違うな。喧嘩しないでほしい、が近いかも」

 自分の中でそれがしっくりとくる答えだった。

「それだと、おれは何もできないな」

 金魚はがっくりと肩を落とす。なんだかその様子がかわいらしくて笑ってしまった。

 何かする、か。そんな風に考えたことは無かったかもしれない。両親が喧嘩しないためにわたしに何かできることがあるのだろうか。

「ありがとう金魚。その気持ちだけでもすごくうれしいよ。それに何か今いいものをもらった気分」

「本当? おれは何かしたかったんだけどな。でも那弥子がいいならいいや」

 じゃあ、と続ける。

「無事に帰ろうね、那弥子。ここからは何かがいる道を通らなければいけなくなるから、手を離さないように気を付けるんだよ」

 わたしはうなずくとともに、しっかりと手を握り返した。


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