『fighters after work』

『fighters』の続き。







 谷原さんに連れられてやってきたのは、駅に面した大通りから2本ほど入ったところにある居酒屋だった。近くに自販機の明かりくらいしかない暗い場所なのに、店の前には大漁旗が飾ってあり、「漁港より直送!」という元気なのぼり旗が出ていて何だか変な感じだった。

 狭い店内はいけすの臭いが満ちていて、自分たちと同じ仕事帰りのサラリーマンでにぎわっていた。既に出来上がっているグループもいて、おじさんたち特有の説教しあうような会話のドッジボールが繰り広げられていた。

 普段の谷原さんのイメージから、どんなおしゃれなところに連れていかれるんだろうかと恐々としていたが、意外にも普通の居酒屋さんで安心した。

 通されたのはお店の隅の2人がけ用の小さなテーブルだった。座ったタイミングで、バイトさんがおしぼりを持ってきてくれる。

「生でいい?」

 ネクタイを緩めながら谷原さんが聞く。

「はい」

「じゃあ、生中2つと……枝豆と5種盛ともろきゅうと天ぷらもよろしく。とりあえずそれで」

 いきなりの流れるような注文もさらさらと書き留め、軽く復唱するとさわやかに去っていく。なかなかできるバイトさんだ。

「天ぷらっていうのがさ、いつもその日に適当に獲れた魚をいい感じに揚げてくれるの。結構珍しいやつもあったりするんだよ」

「ここにはよく来られるんですか」

「まあ、わりと。おいしいし、安いしね。店員もしっかりしてるから居心地いいし。おっさんばっかだから女の子連れてくるには向かないけど」

「後藤さんたちともいつもそのへんの居酒屋なんで。落ち着きます」

 むしろおしゃれなバーとかだったら味がわからないくらいに緊張していたと思う。

「そう。よかった。ところで丸山さんは飲めるほう?」

「普通くらいです。弱くはないですけど、先輩たちに比べたら全然」

「あいつらはざるだからな。ってか枠だな枠。網目すらない」

 その言い方に思わず笑ってしまった。部署は違えど、喫煙所仲間同士の仲の良さがうかがえるようだった。

「お待たせしましたー!」

 バイトさんがジョッキと枝豆とお刺身を持ってきてくれた。すごく速い。

「はい、じゃあお疲れさまー」

「お疲れさまです」

 ちんっと軽くぶつけて、煽る。よく冷えた金色の液体がのどを通っていくのが心地いい。

「ああ、うまいなあ。腹減ったから食っていい?」

 ジョッキを置いたと思ったらもう枝豆を口に放り込んでいる。

「あ、はい。いただきます」

 私も手を合わせてから、割り箸をぱきんと割る。気が付いたら小皿に醤油を注がれていた。

「まず刺身食べてみてよ」

 ずいっと差し出されたお皿にはまぐろとサーモンといかと鯛とはまちがのっていた。どれも今まで見たこと無いくらいに透き通っていておいしそうで迷ったが、はまちを選んだ。

「おいしい!」

 甘くて柔らかくて口の中で溶けるようだった。こんなにおいしいお刺身は食べたことが無い。

「でしょ?」

 予想通りの反応だったようで、谷原さんが得意気に笑う。そして自分も一切れ口に運んで幸せそうな顔をしている。

 普段は仕事のできる係長のクールなイメージだったから、その様子が何だかかわいらしかった。

 次に運ばれてきた天ぷらには知らない魚が多かったが、バイトさんが丁寧に説明してくれた。熱心に聞いている様子がまた意外だった。

「で、まるちゃん。最近どうよ」

 しばらくの間、他愛ない話をしていたと思ったら、いきなりだ。しかも、まるちゃんだなんて同じ部署の先輩たちしか言わないのに。

「まあ、ぼちぼちですよ」

「後藤たちが心配してたよ」

 追加で頼んだたこわさを突きながらさらりという。

「あ、やっぱりですか」

 私はこれまた追加で頼んだ出し巻き卵に手を伸ばす。

「うん。でも俺も心配してるのも本当。最近よく絡むからいろいろ見えてたしね」

「なんか、ごめんなさい。いつまで経っても手間のかかる後輩で」

「いや、いつまで経っても後輩なのは変わんないんだし、いいんじゃない?」

「それもそうですね」

 谷原さんはたこわさのお皿をこちらへ寄せてくれる。私は代わりに出し巻き卵を差し出す。

「それに仕事はきっちりできてるからさ、心配することないよ」

「つまり、顔に出るのを直せってことですね?」

「直球だね。嫌いじゃないけど。まあ、そういうこと」

 谷原さんはビールを飲み干す。私も同時に空ける。私たちはお互いに食い意地が張っているのかもしれない。話をするというよりは食事がメインになっている。

「すみません。頭ではわかっているんですが」

「慣れもあるしなあ、素直に核心つくのは丸山さんのいいところでもあるし、全部我慢しろとは言わないけどね」

「はい」

「会社で出ないように、今我慢せずにぶっちゃけちゃってよ」

「はあ」

「あのアホ上司に困ってるんでしょ?」

「へ?」

「悪い人じゃないんだけどね、バカだからしょうがないよ。丸山さんがうまいこと思う通りに動かしてくしかないね」

 追加のビールが入る。おいしそうに飲む谷原さんに私は一拍遅れを取った。

「あの」

「なに?」

「いえ、随分はっきり仰るので、びっくりしました」

「だって俺もいらいらするもん」

「そうなんですね」

「だって、いつもはっきりしないし」

「ですよね」

 そのまま愚痴大会はヒートアップしていった。でも、私たちが吐いた毒はアルコールに消毒されて、喧噪に紛れてわからなくなっていくようだった。





「ちょっと空気吸ってきていい?」

 あらかた食べ終わって、愚痴も吐き出し終わって、だらだらと飲んでいる時間になったら、谷原さんがとうとう我慢できなくなったようでたばこを取り出した。

「どうぞ」

 いつの間にかすみに片付けられていた灰皿を引き寄せて、差し出す。谷原さんは浮かしかけていた腰を下ろし、ありがと、と言って火をつける。そして、煙がこちらに来ないようによそを向いて吐き出す。その一連の仕草がきれいでなんとなく見とれてしまった。

「ん? なに」

「いえ、何でもありません」

「酔ってる?」

「んーそんなに飲んだ気はしていませんが」

「の割には、楽しそうだね」

「ご飯がおいしかったからですよ」

「そう」

 たばこをくわえる谷原さんも、その口の端が上がっている。

 お互いにそれ以上は突っ込まなかった。今はその時ではないと思った。そのまま静かな時間が流れる。不思議と気まずくはならなかった。

「まるちゃん、デザート食べる?」

 しばらくして、谷原さんが短くなったたばこを灰皿に押しつけながら尋ねてきた。

「いえ、特に」

「よし、じゃあここはそろそろ出ようか」

 伝票はあっという間に谷原さんの手の中にあり、先に行っているように言われてしまった。

「はい。ごちそうさまです」

 言われたとおりにおとなしく外に出ると、少し寒いくらいに吹き付ける風が気持ちよかった。ゴミが落ちているような薄汚れた路地裏だったけれど、暗い分、星空がきれいに見えた。

「どうする? まだ時間あるし、2軒目行く?」

 お会計を終えて出てきた谷原さんが腕時計を見ながら言う。

 確かにこのまま帰ってしまうのは惜しい感じがした。社交辞令の可能性も大いにあったが、それを無視する程度には酔って気が大きくなっていた。

「じゃあ、バッティングセンター行きましょう!」

 私の提案に珍しく谷原さんが変な顔をした。



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