2014_04
06
(Sun)20:42

『太陽と月』

絵描きの女性と、一緒に住んでいる男性の話


 





 ガチャリと鍵を回す音が聞こえた。それがきっかけで急速に意識が浮上する。
 どうやら床の上で寝てしまっていたようだ。部屋の中がすっかり暗くなっている。
 
 扉が開いて、電気が付く。ため息交じりの優しい声が降ってくる。

「ただいま。またそんなところで寝転がって……まあ、そろそろかと思ってたけど」

 がさごそとビニール袋を探る音が聞こえる。紺色のスリッパが見えたと思ったら、視界にいっぱいに紙パックのココアが現れた。

「すぐご飯作るから。今日はこよみの好きなオムライスにするよ。それ飲んで待ってて」

 声の主は、私の頭をひと撫でして去っていく。

 何とか重たい体を起こし、床に座ったままソファに寄りかかる。すでにストローがささっているココアを手に取って、ゆっくりと飲み始める。甘くて冷たいそれがじわじわと体の中を伝っていくのを感じる。

 こうしていると、ああ終わったなと思う。

 数時間前まで向き合っていたキャンパスに目をやる。寝食を削って自分のすべてを注いでいたのに、今となっては遠い存在に感じる。

 描いている時は、自分の中に渦巻く色に、光に、熱に、溺れそうだった。その大きな流れに責め立てられてひたすらに筆を運んだ。

 今日、その流れがプツンと途切れた。気が付くと、絵は完成していた。

 そしてそのまま気を失ったらしい。リビングに敷かれたシートの上には倒れた時に巻き添えにしたらしい絵の具や筆が散乱していた。自分も相当汚れている。

 片付けるのは明日にしよう。冷静になって状況を確認したら、疲労感が一気に襲ってきた。目を閉じて、ドアの向こうのまな板を叩く音に耳を傾ける。トントンと響く音が心地いい。

「……よみ、こよみ。できたよ。食べよう」
 
 気付かないうちにまた眠ってしまっていたらしい。揺り起こされた私はぼんやりとしたまま手を引かれてダイニングに移動する。

 テーブルの上にはほかほかのふわふわとろとろ卵のオムライス。デミグラスソースがたっぷりとかかっている。完全に目が覚めた。エネルギーを欲して、体内がぐるぐると動き始めた。

「いただきます」

 食べ始めた私を、作り主は目の前でにこにこと見ている。ふと違和感を覚えた。

「ネクタイ……とらないの?」

「え? あ、忘れてた。急いでたから……」

 あははと笑いながらネクタイを外して、隣のイスにかける。そして、そのまま頬杖をついてこちらを眺めている。

 一度、なぜ同じタイミングで食べ始めないのかと聞いたことがある。そしたら、こよみが食べているのを見るのがうれしいんだ、と返ってきた。あと、久しぶりにまともな食事を食べる時は、のどに詰まらせないかと心配だ、とも。

 この人は昔からとても心配性だ。そして、私をいつまでも手のかかる子供だと思っているらしい。

 見られながら食べるのは少々落ち着かないが、言ったところ聞いてくれる人でもないので、もくもくと食べ続ける。

「ごちそうさまでした」

 オムライスとサラダ、フルーツヨーグルトをしっかりと完食した私は、手を合わせて深々と頭を下げる。本当においしかった。

「おそまつさまでした。あ、食器はそのままでいいよ。お風呂入ってきたら?」

「うん」

「用意してあるから、ゆっくりしておいで」

 隣の部屋に行ったと思ったら、準備済みの着替え一式を手渡された。





 お風呂から上がると、甘やかし上手はスーツを脱いで部屋着になっていた。手にはドライヤーを持っている。

「さ、座って」

 座った自分の足の間をたたき、ここに来いと示している。私はおとなしく従った。

 頭の上にのせたままだったタオルを取ると、丁寧に水気を拭いながら、ドライヤーを使って乾かしていく。

 タオルでわしゃわしゃと撫でられる振動と、髪の毛の間を通る風が気持ちいい。

「大作が完成したようだけど、明日からはどうするの?」

「仕事のほうを進めるよ。イラストの依頼が何件かあるから」

「そう。じゃあ、しばらくはちゃんとご飯食べるんだね。よかった」

 心底ほっとしたような声だった。私が絵に夢中になるたびに、この人は心を痛めている。それでも辞めろと言わない。いつも応援だけをしてくれる。

「そうだ。あと、来週はお墓参り行くからね。お義父さんたちの」

「そっか。そうだね。わかった」

 両親は、数年前に交通事故で亡くなっている。ちょうど来週が月命日だった。

「絵描きモードには入らないでよ?」

「うん。気を付ける」

「よし、いい子だ……はい、終わり」

 風が止み、ぽんと頭をたたかれる。終了の合図だった。

 私はそのまま後ろに倒れこむ。どうしたの、と笑いながら抱きとめてくれる。

 私の前で交差された腕は、お風呂から出たばかりの私よりあたたかい。安心感と一緒にふわふわと眠気がやってくる。

「ありがとう、おにいちゃん」

「どういたしまして」

 耳元で響く声がくすぐったい。

 15年前、恥ずかしがって父の後ろに隠れていた私に、はじめましてと笑いかけて頭を撫でてくれた。母となる人も優しかったが、兄はそれ以上だった。私たちはすぐに仲良くなった。

 そして、そのまま育ってしまった。

 両親の遺してくれたこの家で、今も兄妹として暮らしている。兄も何も言わないし、私も何も言わない。でも一緒にいる。きっと、これからもずっと。

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NoTitle

静かで平穏で、何気ない生活の幸せを感じさせてくれて
このお話がとても好きです♪

Re: NoTitle

ヘタリーナ風鈴さま

コメントありがとうございます。
『太陽と月』を気に入っていただけたようで、とてもうれしいです。
こうしてお褒めの言葉をいただく機会はそうそうないので、感激いたしました。

ほわほわとしたお話を書くのが好きなので、また遊びに来ていただければと思います。

よろしくお願いします。

2014/07/11 (Fri) 20:21 | 吉川蒼 #- | URL | 編集 | 返信

No title

最後に二人の関係が義理の兄妹である事にどきっとしました。と同時に、切ない気持ちになりました。でも、暖かで優しいお話ですね。とても好きになりました。

2015/07/21 (Tue) 08:29 | 鳩羽@WhiteCanvas #zrz.kNnw | URL | 編集 | 返信

Re: No title

鳩羽さま

こんばんは。コメントありがとうございます。
とても好きと言っていただけてすごくうれしいです…!

この2人は後ろめたさと家族を亡くした悲しみを背負いながら、大好きな人と穏やかに生活をしています。そのあたりの複雑な雰囲気を読み取っていただけたようで、鳩羽さまの読解力に感謝です。

もしよろしければ、おまけやバレンタイン企画の話も読んでやってくださいね。

ありがとうございました。

吉川蒼

2015/07/21 (Tue) 21:13 | 吉川蒼 #- | URL | 編集 | 返信

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