FC2ブログ
--_--
--
(--)--:--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2018_09
16
(Sun)19:47

清光恋々 (8)

清光恋々7の続き。





 土の灼けたにおいがする。風に乗って窓から入ってきたそれを感じた時、千代は、ああ夏が来たのだなと思った。

 どこかで蝉が力の限り鳴いているのが、耳の中でやたらと響く。夏だと思った瞬間からうっとうしく感じるようになるのだから不思議だった。先ほどまでは全く意識のうちに入っていなかったのに。

「千代さん、どうかしたの?」

 目の前では友人の春子が、急に黙ってしまった千代に首を傾げていた。

「ごめんなさい。ふと、夏が来たのだな、と思って」

「確かに、一昨日あたりから暑くなってきたように思うわ」

 冷たい水まんじゅうが食べたい、と笑う春子がまぶしくて、千代は心の中でため息をついた。

 千代は夏が苦手だった。暑いのが嫌いであるとか、そういった話ではなく、忘れることのできない記憶があるからだ。奥底に巣くった黒い気持ちは、薄れていくどころか年を追うごとに濃さを増していくようだった。まるで底なし沼のようにどろどろとしたそれは、見ない振りをすることを許さないとでもいうように主張を繰り返し、千代の心を蝕み続けるのであった。

 あの日、土に混じった鉄のにおいに気付きさえしなければ、それにつられて屋敷を抜け出さなければ、雲の切れ間から満月が顔を出さなければ、あんなひどい光景を見ることもなかったのに。

 まぶたの裏に浮かんでくるのは、苦悶の表情を浮かべた男の顔だった。彼の着物は真っ赤に染まっていた。

 珍しい話ではない。彼は物盗りに襲われたのだという。それがたまたま千代の屋敷の近くで起こったというだけのことであった。

 千代が近付いたときには全てが終わっていた。殺めた者の気配は近くになかったし、男の命もとうに流れきった様子だった。

 その時、十を過ぎたばかりの千代にできることは何もなかった。事実、何もせずに屋敷に帰ったし、誰にも何も言わなかった。頭まで布団をかぶり、腹の奥底から声とともに湧き上がってきそうになる恐怖を飲み込んだ。

 六年経つ今でも、まとわりつくような水分をたっぷりと含んだ空気の中で、ただただ息苦しかったあの夜の千代が、夏の気配を感じるたびにおびえている。

「千代さんは夏の食べ物で、お好きなものはある?」

「ところてん、かしら。夏はあまり食べたいという気持ちがわかないものだけど、ああいったつるつるとしたものならば、食べようという気になるの」

「私もそう思うわ。今度一緒に食べましょう」

「ええ、ぜひ」

 頭の中を埋め尽くそうとする暗い思考を無理矢理すみに追いやって、千代は笑った。自分がおかしいのは、きっと今夜が満月であるせいだった。



「そんな格好をしていて暑くないのか」

 有馬は我が物顔で執務室のいすに座る忍に声をかけた。

「何事も慣れだよ、高行」

 そう言って微笑む彼は手まりの図柄の瑠璃色の振り袖を着ていた。忍にしては地味だな、などと思っていたが、無造作に垂らされた長い髪の隙間から、洋花が散った紅色の半襟が覗いていた。

「そんなものか」

「そんなもの、だよ。さて、今回の仕事の内容は? わざわざ呼び出すくらいだから、また面倒なことでも起きたんだろう」

 ため息まじりでおどけたように言うが、その瞳には影で生きる者の鋭い光が宿っていた。

「千代さんの三月前の行動を調べてほしいんだ」

 その言葉は忍にとって意外だったらしく、目を見開いて動きを止めた。二人の間に短くない沈黙が落ちる。

「・・・・・・千代さんっておまえの婚約者のお姫様か? なんでまた」

「彼女の様子が気に掛かるんだ。おれとの婚約を無しにしたがっているんだが、その理由がどうにも読めない」

 有馬が眉根を寄せる。

「それは、高行がそう仕向けたんだろ。“外”の嫁をもらわないように、軽薄な男を演じて」

「うまく言えないんだが、それだけでは無い気がするんだ。初めて会ったときから避けられているようだったし、その割にひどく無防備になることがある」

「人に言えない、好いた男でもいるんだろ。それで、おまえは家柄こそ面倒くさいが、顔と性格はいいからな。近付けばそれはそれとして絆されるんだろう」

 忍の話す内容は、有馬自身が考えた一番可能性のある筋書きだった。彼が肯定したことでより強固に納得できるはずだったが、有馬の中の違和感は拭えなかった。

 千代の頑なな態度には、色恋のような甘く苦しいものはなく、まっすぐな強い意志が感じられた。まるで使命を全うするかのような。

「・・・・・・納得していないという顔だな」

 いすから立ち上がった忍が、有馬にゆっくりと近付く。

「忍。どうしても放っておけないんだ。なんだか嫌な感じがする。おれは千代さんと婚約に至らないようにしたいと願う身勝手な男だが、彼女の幸せを願う程度には心を持った人間でありたいと思っているんだ」

 だから、捨て置けない、と。言葉の端々に熱をにじませる有馬の態度に、忍は心の中でため息をついた。自分の主は自覚無く、引き返せないところまで来ている。

「若様の、仰せのままに」

 有馬の目の前に来た忍が膝をついて頭を垂れた。

「ああ、頼む」

 有馬は表情を緩めた。そして、忍が耐えるようにきつく目を閉じていることには気が付かなかった。

スポンサーサイト
目次   
«  HOME  »

C.O.M.M.E.N.T

コメントの投稿

非公開コメント

トラックバック

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。