2014_03
23
(Sun)18:21

『風の行方』 後編

空から落っこちてきた風神の子と人間のミコの話



 





 それから10年が経った。

 風神の子は、再び地上へ降り立った。今回は不慮の事故ではない。自分の意志で降りられるようになったのだ。

 古い記憶を頼りに、ミコの屋敷を探す。このあたりはなんとなくだが見覚えがある気がする。

 驚くだろうか。記憶の中のミコが一瞬だけ目を見開いて、笑顔で手を伸ばしてくれるのが想像できる。口元に笑みが浮かぶ。

 風神の子は、いつの間にか走り出していた。早く会いたい一心だった。

 そしてミコの屋敷にたどり着いた。10年の時を経て少し傷んでいたが、人が住んでいる気配はあった。

「おい、いるか」

 勝手知ったる他人の家。上がるとまっすぐにミコがいつも村人の話を聞くために使っていた部屋に向かった。

 ふすまを開けた途端、視界に入ったのは布団で眠るミコだった。

「おい、寝てるのか? おまえ……」

 なんだか胸騒ぎがする。おかしい。こんな時間まで寝ていることなどなかった。

 風神の子の声で目が覚めたのか、ゆっくりと彼のほうを向く。彼の姿を認めると、笑みを浮かべた。

「おお、大きくなったな。風神の子よ」

 声が弱弱しい。腹の底からざわざわと嫌な予感がこみ上げてくる。

「おまえ、どうしたんだ」

「ふふ。病になってしまってな。もう体を動かすことが億劫なのだ」

 せっかく来てくれたのに、もてなしもできなくてすまんなと申し訳なさそうに言う。

 彼はミコのそばに膝を付いた。

「病って、いつからだ。治らないのか。医者は。薬は。村人たちは何をしてるんだ」

「落ち着け。病に気付いたのはひと月くらい前だ。その時にはもう治らないことがわかった。自分の体だからな、自分でわかる。村人たちには屋敷に近寄らないように厳命した。ひと月経ったら火を投げ込めと言ってある」

 目の前が真っ暗になるようだった。

「ひと月っておまえ、本当はもっと前からわかっていたんだろう」

「相変わらず鋭いな、そなたは。そうだ。なんだかおかしいことはわかっていた。わかっていたけど放っておいた」

「なぜだ!」

「さあ、なぜだろうな。自分でもわからぬ。そなたが来てくれると知っておったら、また違ったかもしれぬなあ」

 そう言って目を閉じる。2人の間に沈黙が落ちる。

「……おまえはばかだ」

 先に口を開いたのは、風神の子だった。

「ふふ。懐かしいな、その言葉。10年前、散々言ってくれたな」

「ばかだばかだ。おおばかものだ……」

 吐き捨てるように言うその言葉に力はない。

「そうだ。わたしはおおばかものだ。今なら素直に認められる」

 ミコは笑っていた。

「……もうすぐ火が放たれるのか」

「そうだ。わたしの死体の処理で病になる者が出てはならぬからな。屋敷ごと燃やしてしまうのが1番だと思ったのだ。近くに燃え移るようなものもないしな」

 ミコは、しかし、と続ける。

「少し気が変わった。風神の子よ、今更だがそなたは人の病気など関係ないな?」

「当たり前だ」

「では、頼みがある。私をどこか遠いところに連れ出してくれ。山がいい。できれば強い風が吹くところがいい。最後に外の広い景色が見たいんだ」

 風神の子が初めて聞くミコのわがままだった。

「わかった。行こう」

 そっと抱き上げると、ミコは嬉しそうな顔をした。その体は、ひどく軽かった。





 風神の子は、ミコの体に負担がかからぬように注意を払いながらも、できうる限りの速さで駆けていった。そうして駆けていると病も振り切れるような気がした。しかし、腕の中のミコは目を閉じてじっとしているだけだ。手を叩いて喜んでくれたらいいのにと思っても、その手が動くことは無かった。

「着いたぞ」

 とある山の頂上でミコを抱えながら、腰を下ろした。山々が連なっているのが一望でき、風が強く吹いている。

 ミコは目を開けた。

「おお、美しいな。世界とは、かくも美しいのだな」

「そうだ」

 そのまましばらく眺めていた。

 日が傾き、風が冷たく感じられるようになったころ、ミコが口を開いた。

「満足だ。ありがとう。風神の子よ。面倒なことを頼んですまなかった。では、放ってくれてかまわぬ」

「ばかなことを言うな……最後まで共にいる」

 そう言ってミコの手を取り握った。

「……そなたは、相変わらず優しいな。そして立派になった。とても安心する」

「おまえはいつだってばかだ。全然自分を大事にしない」

「はは。変わらぬな、本当に。この10年そなたのことを思い出さぬ日はなかった。そなただけが、わたしを子供だと言ってくれた。怒ってくれた。抱きしめてくれた。それだけで生きて、これた……」

 風神の子は、ゆっくりと語るミコを静かに見つめていた。

「おれもおまえのことを思い出さない日はなかった」

 抱きしめる腕に力を込めた。それに応えるかのように、ミコは握り返した手にわずかに力を込めた。その先は、お互い何も語らなかった。

 それから、ミコの意識が戻ることはなかった。息ができないのか、ときどき発狂したようにのどや胸をかきむしって暴れた。風神の子は必死に抱きしめた。ミコは目の前で血にまみれ、狂いながら少しずつ死の淵に落ちていく。風神の子は、何もできず、汚れもせず、彼女を呼ぶことしかできない自分が憎くて仕方がなかった。

 数日後、彼女が命を手放す瞬間、その一瞬だけ正気を取り戻したかのように笑った。それだけが唯一の救いだった。10年間風神の子の心に在り続けた笑顔と同じ顔だった。風神の子も笑顔で見送ることができた。

 苦しみから解放され、安らかに眠るミコを川の近くに連れていく。水で湿らせた布で血を丁寧に拭うと、彼女は美しかった。

 それを見たら、涙があふれた。いつ、どこで、どうしていたら、よかったのだろう。村人から引き離せばよかったのだろうか。ミコの生き方を受け入れなければよかったのだろうか。もっと早く地上に降りられるようになっていればよかったのだろうか。後悔と怒りと寂しさでわけがわからなくなった。ただただ辛かった。ひたすらに泣いた。

 ひとしきり泣いて、声も涙も枯れた後、頂上に戻ると、彼女を1番見晴らしのいいところに埋めた。ここならばいつでも会いに来られる。

 風神の子は埋めた場所をひと撫ですると、静かに去っていた。

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