2017_05
07
(Sun)22:15

『桜の最期』

4月の中旬くらいの、高校2年生のいずみと中学2年生になった陽平くんの話。

少しずつ関係の変わり始める二人です。












「いずちゃん、入院したんだって」

 いつの間にか視界には何も映っていなくて、陽平は自分が落としたカバンが立てた鈍い音で我に返った。心臓の音がやけにうるさくて、母が話す内容が全く頭に入ってこない。

 いずみが高校に入ってから初めてのことだった。一年間、何事もなく終えたところで油断していた分、ショックも大きかった。

 ほんの三週間前、春休みに会った時にはぴんぴんしていた。いつものように過ごしやすい時間を選んで、いずみの町で彼女の手を引きながらいろんなものを見た。

「ほら、ここの川はああやって真っ白な鳥がよく来るんだ」

 陽平が視線だけで指し示すと、いずみは日差しを遮るように左手を額に当てながら水面を覗き込んだ。そこにはカラスほどの大きさの鳥が魚を突くような仕草をしていた。

「ここよく通るのに気付かなかったなあ」

 柔らかい日の光と同じくらいの温度のいずみの声が、じんわりと陽平の内側を温めていく。

「わたしも発見したことがあるんだよ。あの橋ね、夕焼けですごくきれいに染まるの」

 いずみは川のさらに向こうを指差す。

「いずみもなかなか『探検』がうまくなったな」

「でしょう?」

 弾けるように、転がるように二人の声が重なっていく。この瞬間の、この何でもない景色を共有することがただ幸せだった。
お互いに笑いながら、どちらが声をかけることもなく次の『探検』のために歩き出す。

「また背が伸びたね。わたし、そろそろ抜かされちゃうかな」

「次の休みの時には逆転してるな、きっと」

「えー、困るなー」

 何がだよ。いずみこそ、その髪、なんとかしろよ。陽平は心の中で悪態をついた。

 出会ったころから少しずつ伸ばしているらしい髪はちょうど肩甲骨を覆い隠すほどになった。時々吹く強い風になびくそれをそっと抑える姿に、胸が苦しくなってかきむしりたくなる衝動に駆られる。

 自分の背が伸びても、それ以上にいずみはどんどんきれいになっていく。

 陽平の心の奥の奥にいるのは、小学五年生の自分だった。罪悪感と恐怖と焦燥とでうまく身動きが取れなくて泣いているばかりの子供で、ふと気を抜けばその自分に支配されて、本当に涙がこぼれてしまう。それを無理やり押し込めて背伸びしてようやく陽平はいずみの隣に立っていた。

「桜、なかなか咲かないね」

 一緒に見れたらよかったのに。そう言ってぷくりと頬を膨らませたいずみを陽平はため息交じりで慰めた。

「また来年も来るから。次は開花予想気にしとく」

「うん。お願いします」

 いずみの笑顔を見ながら陽平はどこか遠い世界に来てしまったような落ち着かない気持ちになった。

 いつからだろうか、彼女がためらいなく次の約束にうなずいてくれるようになったのは。ぼんやりする陽平の心の中で小学五年生の自分が、違う意味で大泣きしていた。


 入院したことを聞いてから四日後の土曜日。部屋でベッドに寝転んで雑誌をめくっていた陽平は机の上の携帯が震えているのに気付いた。

 入院中のいずみから連絡が来るはずもないしと、適当に放置しようとしていたが電話のそれだったため、のろのろと起き上がった。

 手に取ると、画面に表示されていたのは可能性を真っ先に否定した人物の名前だった。過去最速でスライドして耳に当てる。

「もしもしっ!」

「あ、陽平くん? ごめんね。いきなり」

 細く、消え入るような声だった。

「大丈夫なのか」

「うん。だいぶ落ち着いた……」

「入院のこと、聞いて、驚いた」

「わたしも。ずっと体調良かったから」

 それきり沈黙が落ちる。陽平は気の利いたことが言えない自分に腹が立った。口を開いては閉じ、言葉にならない思いの欠片だけが吐息とともにただただ流れ、落ちていく。

 いずみの息を吸う音が聞こえた。

「陽平くん、わたし、桜が散るのが怖い」

 電波の向こうの泣き声に思わず手を伸ばしたが、届くはずもない。細い腕に刺さった点滴を引きずって、体を丸めて携帯にすがっているいずみの姿が見えるようで、陽平の胸が締め付けられた。

 未来が続く当たり前を突きつけて、『平穏』に慣れさせたのは自分だ。無意識にこぶしを握りしめ、考える前に言葉が出た。

「……約束、しただろ」

 聞き返す声が聞こえたが、かまわずに続けた。

「桜、また見るって約束しただろ、来年見るためには今年の分は散るしかないじゃないか。何が怖いんだよ。散って葉っぱになるのが当たり前だろ。そうやって大きくなっていくんだから」

「でも」

「でもじゃない! 死なない!」

 叫ぶように放った言葉に、息を飲む気配があった。

「死ぬわけじゃない。変化だ。花びらなんて、抜け毛みたいなもんだろ」

 一瞬の間があって、いずみが戸惑う声を出した。

「ぬ、抜け毛って。ひどいよ……」

「似たようなもんだろ。そんなのの何が怖いんだよ」

 自分でも何を言っているかわからないくらいに必死だったのに笑われて、思わず拗ねたような態度を取ってしまった。

「そ、うだね。怖くない」

 涙を拭っているのか、ごそごそと音が聞こえた。

「さっさと退院したら桜は無理だけど、藤は一緒に見に行ってやるよ。あの大きな公園に咲くだろ。紫陽花のほうが好きならそれまで待ってもいいけど」

「藤がいいな。早く治すから」

 服買いに行っておしゃれするね、という強がりを聞いて、陽平はほっと息をついた。いつもの彼女に戻った。

「ああ、約束だ」

「うん。ありがとう」

 そうして通話を終え、陽平は床に座り込んで、ようやく自分が立ったままだったことに気が付いた。しばらく動けず、膝を抱えてうずくまっていた。


 ベッドでまどろむいずみの目の前でまたひとひら、桜が散った。昨日まで恐怖でしかなかったそれは、砂時計の砂のように次の約束へ向かってゆったりとカウントダウンをしているように見えた。

「不思議だなあ」

 半分溶けた意識の中で、彼を思い浮かべる。あたたかい雫がひとすじ、いずみの頬を伝った。

 幸福感と罪悪感の混じった涙だった。


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